個人再生の申立書・陳述書はどう書けばいいの?書き方のコツはある?
大事なのは、もう二度と個人再生をしないことです。誠実な人間には結果が伴います。ここまで考えたあと、陳述書と向き合ってみてください。きっと素晴らしい陳述書を書くことができます。
申立書や陳述書の書き方にコツなんてないよ!ただ誠実に書けばいいだけなんだ!意味が分からない人はまた同じ過ちを繰り返すよ!詳しく解説するね!
ぴよぴよ(親分に任せれば大丈夫っす)!
Contents
申立書・陳述書は『誠実に』書こう
個人再生には申立書と陳述書が必要になります。下記の記事に書きましたが、
主に必要なのが、
ということになります。ここではそのうち、申立書と陳述書の書き方について簡潔にまとめておきます。
などですね。これを『誠実に』書けば問題ありません。
『誠実に』書けばいいんだ!それ以外に答えはないよ!
ぴよ(ふむ)!
しかし人間は誠実の言葉の意味をなかなか理解できない
しかし人間というものは厄介な生き物ですからね。『誠実に』と言っても、まずその言葉の意味を理解していなかったり、あるいはそう言っているのに不誠実に書いてしまう人がいるのが現実です。
『犯罪をするな』とか『事故を起こすな』と言ってもそれをやってしまうように、人間というものはなかなか一筋縄ではいきませんね。
陳述書はかなり重要な役割を担っていて、これに問題があれば個人再生が受けられないというくらい、大事な書類です。だからこそ『誠実に』と言ったのですが、しかし、世の中、時に政治家や法律さえも間違っていることさえありますからね。誠実さがなんであるかを理解しない人が多いのは、やむを得ないかもしれません。
その他のサイト様や専門書で、陳述書等についての書き方、サンプルなどが書いてありますので、そのようなものが見たい方は、ぜひそちらで確認してください。ここではそのような方向とは別の方向から、この問題にアプローチをしていきます。
重要な役割を担うからこそ、誠実に書くしかないんだ!この意味を理解できないなら、同じ過ちを繰り返す可能性があるよ!正直、一流とは程遠い人生を生きている人だね!
ぴよぴよ(親分、ちょっと熱くなってるっす)!
何としても個人再生を受けたい気持ち
まず考えるべきなのは、以下の記事についてです。
この記事ではつまり、『自分の私利私欲に支配されて人生を生きるべからず』ということを説いているわけです。
例えばアメリカの作家、オー・ヘンリーはこう言い、
リンカーンはこう言っています。
人間というものは、ついつい自分の私利私欲ばかりを優先させてしまい、例えばここで言うなら、『生き長らえて』しまいます。しかし、この人生において、人よりも一日長く生きることに、どんな意味があるでしょうか。
天草四郎は17歳で死に、坂本龍馬は32歳でこの世を去っています。平均寿命よりも短い人生を生きた彼らの人生は、無駄だったと言えるでしょうか。
今回の陳述書を『誠実に』書くというテーマについても同じことが言えます。もし、ここで『不誠実に』書くという人は、おそらく『自分にとって都合のいいような方向に傾くように』画策するのでしょう。
何としても個人再生を受けたい。だから少し話を捏造してでも、陳述書を自分にとって有利になるように書きたい。そう考えてしまうわけです。
意味がわかってきたかな!誠実と不誠実の意味が!
ぴよぴよ(うーむ)!
本当に大事なのは、もう二度と個人再生をしないこと
百歩譲ってそれで個人再生が成立したとしましょう。しかし、そのような不誠実な行動がまかり通ってしまうことの弊害は何もないでしょうか。
下記の自己破産の記事にも書きました。
『その場だけを強引に収める』ことは、愚かな人間のやる行動です。本当に大事なのは、もう二度と自己破産をしないことですよ。と。
そうです。この場合においても本当に大事なのは、もう二度と個人再生をしないことです。つまり、二度と債務整理をするような事態に発展させないことが問われているのです。
その為に必要なのは、パラダイム転換です。つまり、不誠実な考え方が積もり積もって、債務整理をするに至った。こういう発想を持たなければ、このピンチをチャンスに変えることはできません。見るべきなのは以下の記事です。
周りや環境のせいではない。自分が不誠実かつ至らない人間だったからこそ、借金を負って債務整理をするという窮地に陥った。そのことについて理解しないまま、またもや不誠実な対応でその場をやりくろうとするのなら、もしかしたら小欲だけ満たされ、大欲は満たされないまま、人生を終えてしまうかもしれません。
僕は1,000人の偉人と向き合った経験を持つからね!人がどう生きるべきかということについては、人一倍よくわかるんだ!
ぴよぴよ(人じゃないっすけどね親分は)!
…。
誠実な人間には結果が伴う
現代の経営の神、稲盛和夫は言いました。
ここまで考えたあと、陳述書と向き合ってみてください。きっと素晴らしい陳述書を書くことができます。そして、もしそれが通らなかったとしたら、それはそもそも必然的な結果だったのです。見るべきなのは以下の記事です。
ここまで考えた人であれば、淡々とその事実を受け入れ、自分に歩ける最善の道を歩くことができるでしょう。
心が曲がっていれば結果も曲がることになる。心に何か問題を抱えていれば、問題が起きてしまうことになる。そういうものなんだよ!
ぴよぴよ(た、たしかに)!
どーもっ!ものしりニワトリです!この記事に書かれた情報を、補足したり解説するナビゲーターだよ!